2015年7月26日日曜日

ヨハネの福音書20章1節~18節「復活の朝」


礼拝において、私たちが読み進めてきたヨハネの福音書。先回は、イエス・キリストの死と、ヨセフ、ニコデモと言う二人の弟子による葬りの場面を学びました。

しかし、もし死がその生涯の終わりであるとすれば、イエス様を信じる私たちに救いはあるのでしょうか。イエス様がご自分の命を捨てる程、人々を愛したとしても、もし墓に葬られたままであったら、イエス様を信じる私たちも、最後は死に敗れてしまうのかと言う諦めの気持ちを抱かざるを得ません。

 しかし、聖書が伝える事実はそうではありませんでした。イエス様は死に敗れたのではなく、死に勝利された。死から復活して、私たちが本来生きるべき命、永遠のいのちへの道を開いてくださった。このキリスト教にとって非常に大切なイエス様の復活と言う出来事、その最初の朝の様子を描くのが今日の場面となります。

 イエス様が十字架で息を引き取られた金曜日の午後から数えて三日後、日曜日の朝早く墓に駆けつけたのはマグダラのマリヤと言う女性です。

 

20:1、2「さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」」

 

マグダラのマリヤは、かって七つの悪霊に取りつかれ、身も心も苦しめられていた女性。その苦しみを癒してもらったこともあり、マリヤはイエス様の体に香料を塗るため、誰よりも早く墓に足を運んだと思われます。

けれども、墓に来てみると地震のため入り口を塞いでいた石が外れていました。イエス様の体はどこにも見当たりません。これを見て、「誰かが、イエス様の体を取って行った」と早合点したマリヤは、この一大事を弟子のペテロとヨハネに知らせに戻ったと言うのです。

すると、知らせを聞いた二人の弟子が「それは大変」とばかり、すぐに墓に向かって、走り出します。

 

20:3~8「そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓にはいり、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。そのとき、先に墓についたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた。」

 

「もうひとりの弟子」とは、この福音書を書いたヨハネです。二人は同時に駆け出しましたが、若いヨハネが年長者のペテロよりも足が速かったのでしょうか。先に墓に到着します。しかし、すぐ中に入らず、ペテロの到着を待つと、ペテロに先を譲りました。年長者を敬ったのです。

二人の目に映ったのは不思議で、驚くべき光景でした。イエス様の体のない空っぽの墓。残されていたのは、遺体に巻かれていた亜麻布のみ。しかも、亜麻布はまるですっぽりと体だけが抜け出したかのように、きれいに巻かれたままの状態であったと言うのです。

墓泥棒なら高価な亜麻布や香料を取ってゆくはずです。仮に、イエス様の遺体だけを取って行った者がいたとしても、亜麻布を解いた跡が残るでしょう。それなのに、亜麻布はそのままですし、布を解いた痕跡もない。

これは一体どういうことか。思い巡らすうちに、ヨハネの心に浮かんだのは、イエス様は復活されたのではと言う思い。この時の経験を、ヨハネは「もうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた」と記しています。

しかし、「イエス様は復活したらしい」とまでは信じても、それが思っても見なかった出来事、余りにも驚くべき出来事であったからでしょう。ヨハネは救い主の復活が事実であるのかどうか、その意味は何であるのか、他の弟子たちとともに聖書で確認し、理解しなければと考えたらしく、自分たちの家に帰ってゆきました。

 

20:9,10「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。」

 

こうして、二人の弟子は戻ってゆきましたが、墓の外で待っていたマリヤは動くことができませんでした。悲しみのあまり、泣き崩れていたのです。

 

20:11~13「しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」

 

聖書では、神様のことばを伝える使者として御使いが登場します。しかし、頻繁にではありません。神様の救いの御業が大きく前進する時、神様が非常に重要な出来事を起こす時、それを知らせるために御使いが現われるのです。イエス様の生涯においては、誕生の時、救い主としての働きを開始された時、そして最後三度目が、復活の時です。

しかし、この場面、御使いは「イエス・キリストは復活した」と宣言すると言うより、「何故、泣いているのですか」と、マリヤに対する思いやりのことばをかけているのが印象的です。愛する主が死なれたというだけでも耐え難い悲しみであるのに、その遺体までも失われたことで、マリヤの悲しみはより深くあったのでしょう。この現実を受け入れることができないマリヤは、「私の主を取って行った者がいます」と訴えました。

そして、悲しみに沈むマリヤを、もうこれ以上見てはいられないと思われたのでしょうか。イエス様が復活の姿を現されたのです。弟子たちの中で、復活の主の姿を最初に見る恵みと栄誉にあずかったのは、このマリヤでした。地上を歩まれた時と同じく、イエス様はいつも悲しむ者とともにいてくださると教えられ、慰められるところです。

 

20:14~16「彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。」

 

イエス様は、マリヤが何故悲しいのか、誰を捜しているのか。良くご存知でした。ですから、「あなたが探し求めているわたしなら、復活してここにいますよ」との思いを込め、「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」と優しく語りかけておられます。

しかし、気が動転していたのか、涙で目が曇っていたからか、自分に語りかけたのがイエス様と気がつかないマリヤは、これを墓の管理人と勘違い。「あなたが遺体をどこかに運んだのなら、私に返してください」と迫ります。

けれども、愛する者を失った悲しみに暮れるばかりで、ご自分の存在に気がつかないマリヤを、イエス様は決して非難されませんでした。むしろ、「マリヤ」と名をもって呼びかけたのです。聖書のことばをそのまま訳せば「マリアム」。これは二人が使い慣れていたガリラヤ地方の方言でしたから、マリヤは自分の名を呼んだお方が、懐かしいイエス様だとすぐに気がつくことができたでしょう。

それが証拠に、マリヤの方もすぐに「ラボニ」と答えました。ラボニは「私の先生」と言う意味です。これも、マリヤがずっと親しみを込めて使っていたイエス様に対する呼びかけのことばと考えられます。

死んでしまったとばかり思い込んでいたイエス様が復活し、生きておられる。以前と変わらず、親しく自分の名前を呼んでくださる。心から悲しみが消え去り、喜びが満ちたのでしょう。マリヤは思わずイエス様の体にすがりつきました。一途にイエス様を愛する女性の何とも可愛らしい姿と思えます。

しかし、イエス様はその様な彼女の思いを理解しつつも、「わたしはまだ父のもとに上っていないから」と語り、ご自分が復活したのは、天の父のもとに帰るためとマリヤをさとします。

 

20:17,18「イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。」

 

イエス様が弟子たちに告げよとマリヤに命じたことば、「わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る」は、少し回りくどい日本語と聞こえます。イエス様が伝えたかったのは、「わたしの父は、あなたがたの父。わたしの神は、あなたがたの神」、つまり、イエス様が天の父なる神様との間に持っていた親しい関係に弟子達も導かれること、イエス様を信じるすべての人に対する祝福だったのです。

復活したイエス様が最初に現われたこと、イエス様が非常に重要なメッセージを託したこと。当時、男尊女卑の風潮が強い状況で、イエス様がマグダラのマリヤをこれ程尊び、用いたこと。これは、この後初代キリスト教会で女性が尊ばれ、多くの女性が活躍する道を開いたとも言われるところです。

以上、私たちは復活の朝に起こった出来事を見てきました。ここには、何度も復活の預言を聞いていたはずなのに、全くイエス様の復活を期待していなかった弟子たちの姿と、その様な彼らを復活信仰へ導くため、心尽くされたイエス様の姿が見られます。

空の墓と残された亜麻布からイエス様の復活を信じ、聖書で復活の意味を理解、確認しようとしたヨハネ。イエス様に親しく名前を呼んで頂き、復活の主を信じ、そのことばを他の弟子たちに伝えたマリヤ。

彼らの活躍が最初の一歩となり、この後キリスト教会が建てあげられてゆくことになります。地上を歩まれた時も、復活した後も全く変わることのないイエス様の愛が、弟子たちの人生を支えていたことを覚えたいところです。

最後に、今日の箇所から、イエス・キリストの復活が私たちの人生にどんな影響があるのか、確認したいと思います。

イエス様が死に勝利したことは、私たちの人生にどの様な影響があるのでしょうか。

私たち人間は死を前にして様々なことを感じます。ある人は、死を前に、これまでの人生を振り返り、虚しさを感じます。マリヤのように、愛する人の死を前にして悲しみに沈み、その人のために何もできなかった自分に苦しむ人もいます。死の向こうに待っている神のさばきを覚え、死を恐れる人もいるでしょう。

虚しさ、悲しみや痛み、恐れの対象である死は、昔から人生最大の敵と呼ばれてきました。聖書は、死を、神様に背を向けて生きるようになった人間に対するさばきとも教えています。しかし、イエス・キリストが死に勝利したと言うことは、私たちにとって死は最早神様のさばきではないと言うことです。

イエス・キリストの復活は、私たちに罪の赦しと私たち自身も神様の愛の中に復活することを確信させてくれる出来事です。死の向こうに、もはや神様のさばきはなく、むしろ地上でなした労苦が豊かに報われる世界が用意されているのですから、私たちは死を前にした恐れや虚しさから解放されます。天国で再会できるのですから、愛する者の死に際して感じる私たちの悲しみは和らげられるのです。

今日本は超高齢者社会と呼ばれています。年齢的に、また事故や天災などのことも考慮すれば、死は誰にとっても非常に身近な存在となってきたと言うことです。そうした中、病気や事故のリスクを減らすことも大切ですが、そればかりでは限界があると感じます。

やはり、死後の復活を信じる信仰が、人生最上の支えと思われるのです。存在が、今の日本には必要と思われます。死後の復活と言う神様の祝福を本気で信じ、この地上で最善を尽くして神様と隣人を愛して生きるクリスチャンの存在が、今、この時代の日本に必要ではないでしょうか。私たちが皆この様な歩みを進めて行けたらと思います。

 

Ⅰコリント15:58「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」

2015年7月19日日曜日

エレミヤ書20章7節~12節「一書説教 エレミヤ書~御言葉に仕える~」


世界で一番「短い」手紙は何か、ご存知でしょうか。ギネスブックにも登録されている、作家ヴィクトル・ユゴーと出版社の社員のやりとり。ユゴーが「レ・ミゼラブル」という本を出版した際、その売れ行きを確認したく「?」と送り、それを受け取った社員が、大変売れていますとして「!」を返したというもの。一文字のやりとりです。

 自分のところに「?」と届いたら、その意味が何なのか。分かるでしょうか。なぜ出版社の社員は「?」が、「売れ行きはどうですか?」という意味だと理解出来たのでしょうか。これは、「レ・ミゼラブル」の本の中に答えがあります。

 主人公のジャン・ヴァルジャンが、安宿に泊まる際。その女主人にお願いすることがあり、相手の機嫌を損ねたくない状況。しかし、女主人は宿泊料を二十三フラン(日本円で言えば二万三千円位)と高額請求してきます。請求書を見た主人公が、あまりの高さに「二十三フラン!」と言うのですが、すぐさま冷静になり「二十三フラン?」と聞き返す場面があります。つまり、最初の「二十三フラン!」には、高すぎる!という意味があり、続いての「二十三フラン?」には、安いけどこれで良いのですか?という意味になります。「!」と「?」を対にして、高い、安いというニュアンスを込めたやりとりが、本の中にあるのです。

 そのことを知っている社員は、著者から届いた「?」を、本があまり売れていないのではないか?と心配していると受け止め、いや大変よく売れていますよ!と返事を出したということです。

 当然のことと言えますが、手紙は誰が、誰に、どのような状況で宛てたものなのか。把握していないと、その内容を理解することが出来ません。「?」「!」という手紙の中身だけ見ても、これだけでは、どのような内容なのか理解出来ないのです。

 

 断続的に取り組んでいる一書説教。今日は二十四回目となりまして、エレミヤ書です。どの書も、「誰が、どのような状況で、誰に向けて書いたのか」を考えることは必要ですが、預言書では特に重要です。時代背景抜きに読もうとすると、その内容を正しく理解することが出来なくなります。エレミヤが活躍した時代がどのような時代だったのか。人々はエレミヤの言葉をどのような思いで受け止めたのか。エレミヤ自身は、どのような思いで預言者として活動したのかを意識しながら、読み進めることが出来ますように。

 毎回のことですが、一書説教の際には、扱われた書を読むことをお勧めいたします。一書説教が進むにつれて、教会の皆で聖書を読み進めるという恵みにあずかりたいと思います。

 

 それではエレミヤが活躍した時代は、どのような時代だったでしょうか。

 エレミヤ1章1節~3節

ベニヤミンの地アナトテにいた祭司のひとり、ヒルキヤの子エレミヤのことば。アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった。それはさらに、ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代にもあり、ヨシヤの子、ユダの王ゼデキヤの第十一年の終わりまで、すなわち、その年の第五の月、エルサレムの民の捕囚の時まであった。

 

 エレミヤが活躍したのはヨシヤ王からバビロン捕囚の時代。既に北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、南ユダが国家存亡の憂き目に会う大混乱期です。約四十年の間、南ユダで活躍した預言者。

 もう少し細かく見ると、ヨシヤ王は信仰の人、聖書の視点で善王。その次のエホアハズは、エジプトの意向を受け、三か月で王位から退きます。続くエホヤキムは十一年間の在位ですが、この時代にバビロンが台頭し、財宝、有力者とともに、エホヤキムもバビロンに連れていかれる歴史となります。続くエホヤキンも、在位が短く(三か月と十日)、バビロンに連れていかれる。続くゼデキヤの時代、神殿が破壊される決定的なバビロン捕囚が起こる。

 つまり善王ヨシヤの時代から、国際情勢が不安定となり、国家としての危機が増す時代。財宝も有力者も王も、バビロンに連れて行かれることを何度も経験し、最後には神殿も破壊される。

 

 イスラエル地方は、南のエジプト、北のアッシリア、あるいはバビロンに挟まれた場所。いつの時代も、大国の脅威に晒され、時には隷属してきました。そのためと言えるでしょうか。歴代の王や群衆の関心ごとは、どの国に従うのが最も良いのか、ということに傾きます。

(前回のイザヤ書でも、アッシリアにつくのか、エジプトにつくのかで、混乱する王や指導者の姿が記録されていました。)

神の民として、いかに神様に従うのか、いかに正しく生きるのかには、関心を示さない。起こりくる出来事を神様との関係で受け止めることをしない。神との関係が問題の本質であったにもかかわらず、大国の様子に右往左往する。宗教が廃れ、都合の良い政治が流行る時代。

このような時代、預言者は何を語ったのか。バビロンの脅威が迫る中で、罪を悔い改めること、悪から離れること。エジプトに頼るのではなく、神様に頼るように。バビロンに敗北するのは、神様の裁きの現れであること。などが、エレミヤを通して、繰り返し語られることになります。当時の緊迫した雰囲気を意識しながら、私たちもエレミヤの言葉に耳を傾けたいと思います。

 

(エレミヤ書は、大雑把には時代で区分することが出来ますが、細かくみると時代通りの順番となっていないため、混乱しやすい書です。大きく見れば、前半はヨシヤ王からバビロン捕囚の前までの時代。罪を悔い改めるように、繰り返し語られます。中盤は、バビロンが台頭し、財宝や有力な人材が捕え移される時代。バビロンに敗北することが主の御心であることが繰り返し語られます。後半は神殿崩壊とその後の時期。バビロン捕囚からの解放、南ユダの回復が主なテーマとして語られます。)

 

 エレミヤ書の大きな特徴は、預言者本人の心情が多く吐露されている点です。他の預言書に比べて、預言者であるエレミヤ自身の思いが多く記されている。そこで今回の一書説教では、エレミヤの心情に焦点を当てて、御言葉に仕えるとはどのようなことか、考えたいと思います。

 

 大変な時代に預言者活動をしたエレミヤ。私たちからすれば、全五十二章にもなる預言書を残し(哀歌もエレミヤのものと考えられますので、含めれば全五十七章と言えます)、その時代も、後の時代の信仰者に大きな影響を与えた大預言者。しかし、人間的な視点から見ると、悲惨極まりない生涯を送ることになった人物。自分が預言者として召されるとしても、出来ればエレミヤのようにはなりたくないと思う人物。

サムエルのように、民衆から認められ、祈りによって戦に勝利し、王を任命するという活躍はありません。エリヤのように、異教の預言者と戦い、大勝利を収めるということもありません。イザヤのように、国家存亡の危機に信仰を示し、大国を退けるようなこともありません。ヨナのように、(本人の意思は逆でしたが)預言者としての働きの結果、裁きが回避されるということもありません。エレミヤは、預言者として活動した結果、命を狙われ、何度も危機に会った人。涙の預言者、悲劇の預言者と呼ばれる。なぜエレミヤは大変な預言者生活を送ったのか。

 

 その最大の理由は、エレミヤが預言した内容にあると思います。エレミヤはバビロンへの降伏、つまり捕囚という裁きが神の御心であることを預言しなければならなかった人物。

(少し前の時代、預言者イザヤが、アッシリアの脅威がある際に、神様を信頼することを訴え勝利しましたが、エレミヤはイザヤと正反対の役割が与えられたことになります。)

 神の民としての歴史を持つ南ユダが、なぜバビロンに敗北するのか。神様の守りはないのか。

 

 エレミヤ自身には、バビロン捕囚の意味が教えられていました。一つには、神様の義が示されるため。

 エレミヤ30章11節(46章28節も同様)

わたしは、あなたを散らした先のすべての国々を滅ぼし尽くすからだ。しかし、わたしはあなたを滅ぼし尽くさない。公義によって、あなたを懲らしめ、あなたを罰せずにおくことは決してないが。

 

 私たちの神様は愛なる方であり、義なる方。悪を重ねる南ユダに対して、裁きを下すのは、神様の義のあらわれとして妥当なことでした。

 あるいは、神様の力ある業が示されるためという理由も教えられています。

 エレミヤ16章14節~15節

その日にはもはや、『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる。』とは言わないで、ただ『イスラエルの子らを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる。』と言うようになる。

 

 繰り返し罪が指摘され、悔い改めが訴えられても、無視を続ける南ユダ。その上で、バビロン捕囚の理由も教えられる。

それでは、エレミヤ自身は、南ユダが敗北することに納得していたかと言えば、そうでもありません。神様から裁きの宣告を聞き、それを真実としつつも、出来ればバビロンへの敗北は避けたい。南ユダに平安があるよう願い続けるのです。

 時には神様に、南ユダが裁かれるにしても、なぜバビロンによって裁かれるのか。神様に対して不信を犯す南ユダよりも、そもそも神様を信じていないバビロンが栄えるのは何故なのかと訴えます。

 エレミヤ12章1節

主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。

 

 また、偽預言者ハナヌヤがバビロンへの勝利を宣告した時、(28章2節~4節)、エレミヤは「アーメン。そのとおりに主がしてくださるように。」(28章6節)と言います。バビロンに敗北することが神様の御心と信じつつも、出来るならば、そうならないようにと願っている姿が見えるのです。

 エレミヤは南ユダが悔い改め、赦されることを願いながら、自分に与えられる神様からの言葉は、バビロン捕囚という裁きの宣告。裁きを望まないのに、バビロン捕囚が神の御心であると知って、信じているエレミヤが、バビロン捕囚を伝えなければならなかった。大変な苦悩があったことが想像出来ます。

 

 エレミヤの苦悩は、その預言の内容にあると思いますが、それは自分でも望まないことを語るというだけではありません。その預言の内容を語る結果、人々から、徹底的に嫌われ、命を狙われることになります。

 国家存亡の危機。何とかして、バビロンに勝利しようと願う王、指導者、群衆を前に、バビロン捕囚こそ御心であると語る。当時は、神様によってバビロンに勝利出来る、平安があると宣言する(偽)預言者も多数いる状況。王や国の指導者、あるいは群衆の目には、エレミヤは混乱を招く者、士気を挫く者、裏切り者に見えたでしょう。結果として、エレミヤは嫌われ、捕らえられ、軟禁、監禁、命を狙われる。命を落としてもおかしくない状況を何度も経験します。

 苦悩の中で預言者として活動する。その結果、人々から嫌われ、命を狙われたエレミヤ。何とも凄まじい人生となります。自分が、この時代、エレミヤと同じように預言者として召されたとしたら、エレミヤと同じように、御言葉に仕えることを選びとれるでしょうか。なぜ、エレミヤはこのような状況の中で、それでも御言葉に仕える歩みを続けられたのか。

 

 エレミヤ自身は次のように言っていました。

 エレミヤ20章7節~12節

「主よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。あなたは私をつかみ、私を思いのままにしました。私は一日中、物笑いとなり、みなが私をあざけります。

 私は、語るごとに、わめき、『暴虐だ。暴行だ』と叫ばなければなりません。私への主のみことばが、一日中、そしりとなり、笑いぐさとなるのです。

 私は『主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい。』と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに、疲れて耐えられません。

 私が多くの人のささやきを聞いたからです。『恐れが回りにあるぞ。訴えよ。われわれもあいつを訴えよう。』私の親しい者もみな、私のつまずくのを待ちもうけています。『たぶん、彼は惑わされるから、わえわれが彼に勝って、復讐してやろう。』と。

 しかし、主は私とともにあって、横暴な勇士のようです。ですから、私を追う者たちは、つまずいて、勝つことは出来ません。彼らは成功しないので、大いに恥をかき、それが忘れられない永久の恥となりましょう。

 正しい者を調べ、思いと心を見ておられる万軍の主よ。あなたが彼らに復讐されるのを私に見せてください。あなたに私の訴えを打ち明けたのですから。」

 

 エレミヤから神様への語りかけの言葉。やや皮肉めいていて、エレミヤと神様との親しさが感じられます。「主よ、多くの人が私の命を狙っています。私が預言者として活動すればするほど、人々から笑われ、嫌われます。こうなったのも、あなたが私を惑わしたから。私はあなたに掴まれて、思いのまま振り回されています。あまりに辛いので、預言者の活動、御言葉に仕えることはやめよう。主の言葉を語ることはやめようと決心しました。しかし、主の言葉は私の心のうちで燃え盛る火のようになり、語らないことが辛い。御言葉に仕えることをやめることは、苦しくて出来ないのです。」と。

エレミヤにとって、御言葉に仕えることは、人からの賞賛を期待してすることではなく、自己満足のためでもなく、語らないですむものではなかったというのです。神の言葉を伝える働きをすれば、どうなるのか、どのような状況になのるか、分かっていても、語ることをやめることが出来ない。預言者に召されたエレミヤにとって、神の言葉とは、このような力をもっていたのです。

 

 私たちがエレミヤ書を読む時に考えるべき重要な一つのことは、自分は神の言葉にどのように向き合うのか、ということです。

南ユダの人たちは、神の言葉をないがしろにしました。神の言葉を二の次、三の次とし、自分の考えを最上として、その結果、バビロン捕囚という悲劇へと突き進むことになります。その時代にあってエレミヤは、徹底的に神の言葉に従いました。神の言葉に従うこと、神の言葉に仕えることで、人間的な視点では、より不幸になり、より危険になると思われる状況で、それでも神の言葉に従い続けました。いや、従わない方が辛いと、エレミヤ自身は言うのです。

 それでは、私たちにとって神の言葉とは何なのか。エレミヤ書を読みつつ考えたいのです。これまで、どれだけ真剣に神の言葉を受け止めてきたのか。どれだけ真剣に御言葉に仕える歩みをしてきたのか。

 

キリストを信じることによって聖霊を受け(使徒2章38節~39節)、聖霊の力によってキリストの証人(使徒1章8節)とされた私たち。エレミヤ同様、御言葉に仕えるように召された私たち。エレミヤを捕えて離さなかったように、私たちも神様の言葉、御言葉に捕えられて、御言葉に仕える歩みを送りましょう。

2015年7月12日日曜日

ヨハネの福音書19章38節~42節 「イエス・キリストの埋葬~ヨセフとニコデモ~」


先回、私たちはイエス・キリストが十字架で息を引き取る場面を見てきました。時は紀元30年頃の春、とある金曜日の午後3時。イエス様は、息を引き取る直前「完了した」と語り、死によって人類の罪を贖うという使命を成し遂げたことを宣言したのです。その直後、兵士がわき腹を槍で突き刺すと、イエス様の体から血と水が流れ出て、これが各々罪の赦しと永遠のいのちと言う、十字架の恵みを示すものであることも確認しました。

そして、今日は埋葬の場面となります。当時、囚人は家族の墓に葬られることが許されず、囚人用の墓か、ゲヒンノムの谷と言う場所に捨てられ、腐り果て、白骨化するまで放置されたと言われます。

特に、イエス様が死なれた日の翌日土曜日は、ユダヤ最大の祭り過越しの祭りの中の安息日お祝いの日ということで、死体を忌み嫌うユダヤ人は、一刻も早くこれを処置したいと考えていました。ですから、このままでは、誰一人イエス様を葬る者なく、その体は谷底に放り出されるという悲惨な結末を迎えることとなったでしょう。

しかし、ここに、意外な人物が登場し、イエス様の体を丁重に葬ることになります。それがアリマタヤのヨセフとニコデモと言うふたりの弟子。彼らは12弟子のように生前イエス・キリストに対する信仰を公にすることなく、近くで教えを聞き続けた者でもありませんでした。けれども、世に知られた12弟子が、この福音書を書いたヨハネを除いてすべて逃げ去った後、突如自らの信仰を明らかにする行動に出たのです。

 

19:38,39「そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。」

 

アリマタヤ村出身のヨセフは、他の福音書を見ますと、裕福であり、有力な議員つまりユダヤ最高議会の議員であり、立派な正しい人でもあったと言われています。富と社会的地位を兼ね備えたエリートでありながら、鼻持ちならない人ではなく、人格者であったのです。

ある時、ユダヤ議会が開かれ、イエス様をどうするのか。議論の後、ついに殺害が提案され、そこに居並ぶ議員の殆どが同調した時、彼はそれに同意しませんでした。何故なら、彼は神の国を待ち望んでいたからと記されています。

この出来事を念頭に置いてのことでしょうか。ヨハネの福音書は、「イエスの弟子ではあったが、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」と、ヨセフに対しいささか手厳しい評価を下しています。

他方、「前に、夜イエスの所に来た」人として紹介されたニコデモも、ヨセフと同じく最高議会の議員であり、年長者。しかし,永遠のいのちの問題について自ら謙遜に尋ねてくるほど、イエス様を尊敬していたのです。

しかし、訪問が昼間ではなく、深夜であったと言う点が、ニコデモの慎重さ、ことばを代えれば、人目を憚る弱さが伺えるところです。けれども、このニコデモとの会話において、イエス様によりあの有名なことば、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(3:16)を語っておられました。

この出会いが影響を与えたのでしょうか。ニコデモの心にも、イエス様を救い主と信じる信仰が芽生えていたように見えます。事実、ユダヤ人議会がイエス様を排斥することで大勢が決まりかけた時、ひとり立ったニコデモはこう言い放ちます。

 

7:51 「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」

 

多勢に無勢と言うのか、孤軍奮闘と言うべきか。イエスと言う人について判断、決定する前に、先ずは本人の話を聞くと言うのが原則ではと語るニコデモ。これがニコデモなりの精一杯の抵抗であり、イエス様擁護の態度であったかもしれません。

漁師や収税人や遊女と言った、社会の底辺に暮らす人々の中に弟子が多かったイエス様。それに対して、裕福で、社会的肩書きを持つ、異色の弟子であるヨセフとニコデモ。いつもイエス様と一緒にいて、旅をし、教えを聞き、親しく食事をしていた庶民派の弟子に比べ、周りが反イエス・キリスト一色に染まる状況で、信仰を守らねばならなかった彼らの孤独や労苦を思うと、非常に同情の余地ありと感じます。

イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフ。反対派がキリスト殺害を企てる中、ひとり議会に立ったものの、「私はイエス・キリストの弟子、イエス・キリストを救い主と信じる」とまでは言えなかったニコデモ。彼ら自身、人を恐れ、世間を恐れる自分の弱き信仰に、大いに苦しみ、悩んでいたのではないかと考えられます。

しかし、その様なふたりが献身的な行動によって、信仰を明らかにする時がやって来ました。ユダヤ人が遺体の処置を済ませて欲しいと願う、安息日まであと三時間。このままでは、イエス様の体が囚人のように辱められ、谷に放り出されるばかりと言う瞬間でした。

まず、ヨセフが総督ピラトの前に進み出て、イエス様の体のさげわたしを願ったと言うのです。それに対し、もともとイエス様に罪を認めなかったピラトは、イエス様が囚人同様に処理されることを望んではいなかったのでしょう。ヨセフに許可を与えました。

しかし、これはユダヤで最も高い地位にいたヨセフだからできたこと。ヨセフがユダヤ議会の議員であり、立派で正しい人との評判を持っていたがゆえに、ピラトも納得し、申し出を受けざるを得なかったのでしょう。他の弟子たちは、総督ピラトの前に出る社会的立場など、誰も持っていなかったかったからです。

ニコデモの行動も目覚ましいものでした。彼は、没薬とアロエを混ぜ合わせた香料、およそ30キロを持参して来ました。これは当時非常に高価なもので、王様クラスの人の埋葬に値すると言われます。ニコデモは、十字架に死なれたイエス様を、神の国の王と認めていたとも考えらえる献身です。

こうして準備を整えると、ふたりは共同で埋葬に取り掛かります。

 

19:40~42「そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。」

 

当時ユダヤ人は、死体に触れることを宗教的な汚れと考え、これを嫌いました。そのような仕事は、一般的にしもべ、奴隷の仕事とされたのです。しかし、ふたりは人目を憚ることなく、イエス様の体を十字架から降ろすと、恭しく、心を込めて香料を塗り、丁寧に亜麻布で巻いたと言うのです。

さらに、納められたのは「まだ誰も葬られたことのない新しい墓」でした。他の福音書には、これがヨセフ所有の墓であったことが記されています。その墓は岩に横穴が開けられたタイプで、庶民には手にすることの出来ないもの。裕福なヨセフにしてはじめて購入可能な墓だったのです。

しかも、その墓は、幸いにも十字架刑の行われたゴルゴダの丘に近い場所にありました。ユダヤ人が死体の処理を急ぐ中、恐らくヨセフは自分のために購入した、未使用の新しい墓を、イエス様のためにささげることを最初から決めていたのでしょう。

イエス様は、ご自分に従う者の幸いな生き方について、この様に教えています。

 

ルカ9:24「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」

 

ここで言う「自分のいのち」とは、体の命に代表される様な、私たちがこの世で大切に考えているものもの、財産、社会的地位、安全な環境などを指しています。

これまで、ヨセフもニコデモもイエス様を信じつつ、同時に自分の財産、議員としての地位、安全な環境を大切にして来たのではないかと思います。しかし、イエス様の十字架の死を目の当たりにした時、彼らは今まで大切に考えてきたそれらのものを自ら手放し、失い、代わりにイエス・キリストと深く結びついたいのち、人間が本来生きるべきいのちを手にすることができたのです。

さて、こうして今日の箇所を読み終えた私たち、覚えておきたいことが二つあります。

ひとつは、人を恐れる弱き信仰者も、神様は等しく愛し、御眼を注いでおられるということです。聖書には繰り返し、「人間を恐れるな。神を恐れよ」と教えられています。しかし、これが頭でわかっても、なかなか実行することが難しい教えと感じること、皆様にはないでしょうか。

特に、この世において大切なもの、守らなければと考えるものを、多く持っていればいる程に、私たちは人を恐れ、世間を恐れるように思います。アリマタヤのヨセフやニコデモが財産を、社会的立場を、自分が守られている環境を失うことを恐れた気持ちがよく分かります。

明確に、イエス・キリストを第一にすることのできない自分、人に対して、「私はイエス・キリストの弟子として生きている」と語ることを躊躇う自分を発見し、苦しみ、悩むことが、私たちにもあるのではないでしょうか。

しかし、今日の箇所は、ヨセフ、ニコデモの様な信仰者を、神様がいかに愛し、見守っておられたか。このことを私たちに教えてくれます。神様は、彼らが自由な心をもってイエス・キリストに対する愛と献身を示すことを期待し、待っておられたのです。

私たちは、人を恐れる信仰者を批判してはいけないと思います。自分の中にある信仰の弱さを責めすぎてはいけないと思います。神様は、置かれた状況の中で私たちがささげる最善の信仰を受け入れ、愛してくださるお方であることを覚えたいのです。

二つ目は、ヨセフとニコデモの行動の源は、十字架上で示されたイエス・キリストの愛にあると言うことです。彼らの信仰は、何故人を恐れる信仰から大胆で献身的な信仰へと変えられたのでしょうか。

イエス様の死を悼む心からでしょうか。悲劇的な死を遂げたイエス様に対する同情でしょうか。そうしたもので彼らの変化は説明できないように思われます。彼らが今まで大切にして来たもの、富や地位をキリストのために用い、ささげたのは、十字架上にイエス・キリストの愛を見たからと考えられます。

ご自分を十字架に付けた人々の赦しを願い、祈る姿。ご自分の着物をくじ引きで分け合うと言う兵士たちの酷い悪を黙々と忍耐する姿。悲しみに心痛める母マリヤに配慮する姿。苦しみの中人類の罪を背負い、赦すと言う使命を果たし終え、完了したと宣言された姿。

このイエス・キリストの愛こそ、彼らの心を動かし、献身的な行動へと励ます原動力だったのではないでしょうか。

私たちはどうでしょうか。正しい行動を為す時、人を愛し、仕える時、私たちの心を動かしているものは何でしょうか。経済的利益、評判、世間体、義務感でしょうか。今日の箇所から、十字架のキリストの愛こそ、私たちの心を最も深く、強く動かし、正しい行動、愛の行動に励ます源と教えられたいのです。今日の聖句です。

 

Ⅰコリント1:18「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」

2015年7月5日日曜日

マタイの福音書6章10節「御国が来ますように」


主の祈り。もう皆さんご存知のように、イエス様が私たちに祈りのお手本として教えてくださったお祈りです。日頃親しんでいるこのお祈りのうち、今日は世界宣教を覚え、「御国が来ますように」をともに考えてみたいと思います。

 主の祈りは、先ず私たちが「天にいます私たちの父よ」と呼びかけて、神様に心を向けると、「御名があがめられますように」、「御国が来ますように」、「みこころが天で行われるように、地でも行われますように」と続く祈りに導かれます。御名、御国、みこころ。徹底した神中心の祈りです。

 中でも「御国が来ますように」との祈り。ここで御国、神の国というのは、ひとことで言えば神様がご支配する国、ということです。その神の国が来ますようにと心から祈れ。私たちそう命じられていました。

余りにも有名なこのお祈り、皆様はどのような思いで祈ってこられたでしょうか。今日は二つのことを中心に考えて見たいと思います。一つ目は、私たちの心における御国の確立です。

一般的に国家とは、三つのものによって成り立つと言われます。第一は国土、第二は国民、第三は主権者です。そうだとすれば、神の国の場合はどうなのか。神の国の王は勿論イエス・キリスト。国民は私たちキリスト者、国土は私たちの心となるでしょう。

ある時、「神の国はいつ来るのか」と尋ねられた時、イエス様はこう答えました。

 

ルカ1720,21「…神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、そこにある。』とか、』あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

 

イエス様を信じる者の心に神の国があるとすれば、「御国が来ますように」とは、どのような意味になるでしょうか。イエス様の支配が私の心の中でますます広く、深くなりますように、私の心がますますイエス様を王とし、従うことができますように。この様に祈る者となることでしょう。

人生における心の革命です。これまでは、どこまでも自己中心。自分の思い通りに生き、思い通りに周りを動かそうとしていたのが私たちでした。しかし、「御国が来ますように」と祈るよう導かれると、神中心に自分の生涯が回り始めるのです。今までは自分を人生の王様と考えていた者が、イエス・キリストこそ私の王、私はその民、そのしもべ。イエス様を王として生きることが喜びとなるのです。

かって東京にある富士見町教会には、衆議院議長をつとめた片岡健吉と云うクリスチャンがいました。この人が日曜日になると、教会堂の石炭ストーブ係をいそいそと務めたそうです。帝国議会の衆議院長といえば、この世では最高ランクの地位にある人。そういう人が喜んで、手も顔も真っ黒にして、会堂のストーブ係をつとめる。

この世では偉い人でも、ひとたび教会に来ると、最も低い勤めにつく。人の目に立たないところで汗を流す。それを栄誉とし、喜びとする。こういう人の心にこそ、神の国、神の支配は確立している、そう思わされます。

果たして、私たちはどうでしょうか。一応イエス様を王としているものの、時々あやふやな自分。時とするとイエス様を追い払って、王座に座ろうとする自分。そんな自分を発見します。しかし、イエス様はそんな私たちの弱さをよくご存知であるからこそ、この祈りをくださったのです。日々この祈りをささげて心の革命を進めること、私たちが自己中心から解放されて、イエス様を王とし、喜んで従いゆくことができるように。そんなご配慮でした。御国が来ますように。この短い祈りを真剣に祈る者となりたい、そう思います。

ふたつ目は、御国の地理的広がり、神の国の世界的な広がりということでした。

現在世界地図を広げますと、神の国という国は見当たりません。しかし、世界の国々の国旗を見ると、多くの国の国旗に十字架がかかげられていることに驚かされます。

 ちょっと目に付くだけでも、スイス、イギリス、スウェーデン、ニュージーランド、ギリシャ、フィジー、フィンランド、ドミニカ共和国、デンマーク、オーストラリアなどです。勿論、これは国旗のデザインのことですが、たとえ国旗に十字架をかかげていなくても、イエス様を王とするキリスト者は国境を越えてどこにでもいるのであって、既に神の国は始まり、世界的に広がっていました。

イエス様が天に昇られた直後の時代、早くも宣教は広がり、北はローマからスペイン、南はアフリカ、使徒トマスは遥か遠くインドまで、宣教のため足を伸ばしたと言われます。そして今や、神の国は、人の心をその国土として世界中に存在するに至ったのです。

たとえ、この世の地図には記されていなくても、世界中に神の国が広がっている。天に召され、天で生きているクリスチャンたちのことを思えば、神の国の人口は数え切れない程膨大で、地上にも天にも広がっているのです。まさに歴史上最大の王国です。

自分はこの様な神の国の一員であること。世界中に、また天にも兄弟姉妹がいて、共に同じ国民と思えること。これは私たちの特権であり、喜びではないでしょうか。

しかし、教会による世界宣教の働きはいつの時代も困難を極めました。一例をご紹介しましょう。もう随分と前になりますが、新聞に「日本のシュバイツァー」として、井上伊之助宣教師のことが紹介されました。伊之助の父、弥乃助は台湾の会社で働いている時、首狩族に首をはねられ、殺されました。その知らせを聞いた伊之助は、父の仇を討つために医学を学んで台湾に渡ったと言うのです。伊之助の仇討ちとは敵を愛すること、首狩族の人々に聖書を伝え、病気の者に医療を施すことでした。

 「井上伊之助の35年間の伝道と治療のつらさは筆舌に尽くしがたく、自らも眼病にかかり、苦しみながら、台湾の人のために生きた。このような崇高な生涯を送った人を日本人として誇りとしたい。」と新聞の記事は結んでいました。

20世紀は、イエス様が生まれて以来最も迫害の多かった世紀と言われます。100年間で約4500万人のクリスチャンが殉教。今日でも、世界では一日400人以上の殉教者が存在すると言われます。

 私たち四日市キリスト教会もおよそ65年前、二人のアメリカ人宣教師、ジョン・ヤング宣教師とフィリップ・フォックスウェル宣教師の伝道によって始まりました。ヤング宣教師は八王子南幸園で八王子集会を、フォックスウェル宣教師は、港の近く高砂町で高砂集会を開き、やがて二集会が合同して、四日市教会となります。

 ヤング宣教師は最初中国で宣教するつもりでしたが、共産主義政権に拒否され、断念。それでもアジア宣教の思いやみがたく、日本のそれも既に宣教師が多くいた大都市ではなく、四日市の様な地方都市を選んだと聞きました。

フォックスウェル宣教師は、戦勝国アメリカから来たが故に、「ヤンキー、ゴーホーム」の罵声をしばしば浴びなければなりませんでした。比較的裕福な宣教師が多かった中、フォックスウェル宣教師の家は古ぼけたキャンピングカー。しかし、「イエス様にも眠る家はなかったのだから」と活動を続けられたとか。四日市キリスト教会の土台はこうした尊敬すべき宣教師の労苦によることを、私たち忘れてはならないと思います。

なお、ヤング宣教師の二人の息子、長男のブルース宣教師は冨田にある北四日市キリスト教会を、二男のスチーブ宣教師は鈴鹿キリスト教会設立に力を尽くし、長老教会を助けてくださいました。

 こうして、宣教師によってスタートした私たちの日本長老教会。やがて、徐々に宣教師を生み、送り出すようになります。現在、日本長老教会出身の宣教師としては、アジアの少数民族に聖書を届けるため、長く困難な辞書作成の働きを続けておられるオーマン・グレッグ・美紗子ご夫妻、ウィクリフ聖書翻訳協会でご奉仕されている高田正博、優子ご夫妻、中国に住むチベット族に宣教する鈴木きよか姉、老いてなおタイで、児童伝道、受刑者の為の伝道を続けておられる森本憲夫、豊子ご夫妻が活躍中です。

また、北四日市教会出身の大庭恵理姉妹はOM日本の事務局でご奉仕され、村井優人、春美ご夫妻はカナダ・トロントで日系人伝道に励んでおられます。今宣教師となるべく準備中の方々もいます。これから、さらに世界宣教のため長老教会から献身する兄弟姉妹が起こされることを望みたいと思います。

さらに、アメリカ長老教会と韓国の長老教会から、多くの宣教師が派遣され、私たちと協力しつつ、日本のために労してくださっていることも、感謝したいと思います。

それから、忘れてならないのは、私たちの教会の伝道も献身的な信徒宣教師によって支えられてきたことです。「四日市教会で、英会話を通して伝道したい」と志を抱き、初期の活動に携わられたディック、ドロシーご夫妻。ディック先生は昨年天に召されました。ジャック、レナタ、リチャード、バークマンご夫妻、アンディご夫妻、スチーブン、マイク、アセシュ、ニコラス、メーガンご夫妻。それにW.アンドリュー、ゆりご夫妻、ナターニャ、ティナシェ。献身的な兄弟姉妹に心から感謝したいと思います。

とはいえ、神の国の広がりは未だ完全ではありません。現在、世界の人口は68億人。言語の数は約6900。内、聖書全巻または一部が翻訳されている言語は2500、今聖書翻訳が進行中のものは1990、そして翻訳を必要としている言語がまだ2250存在する、と言われています。

イエス様は「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日がきます」(マタイ2414)と語り、ご自分が地上に戻ってくるのは、全世界に福音が宣べ伝えられてからと教えています。

また、使徒ヨハネはやがて完成する神の国で、世界中から集まってきた数え切れない程のクリスチャンが互いに親しく交わり、神とイエス・キリストをほめたたえる幻を見、それを証ししています。

 

黙示録79,10「その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」

 

キリスト教会はこの約束を信じ、この幻を心に抱いて進んできました。宣教師は世界中に出(いで)、教会はそれを支え、神のことばである聖書は驚異的な広がりをみせています。しかし、未だ多くのイスラム教圏の国はキリスト教宣教に門戸を閉ざしています。ヨーロッパのフランスやドイツなど、いわゆる伝統的なキリスト教国におけるクリスチャン人口の減少、教会の閉鎖等が起こり、こうした国々への伝道に取り組む働き人も必要とされています。

ですから、「御国が来ますように」と祈るということは、聖書が約束し、保証している神の国の完成を待ち望みつつ、私たち自身が世界宣教に取り組んでいくことなのです。既に福音を信じ、神の国の民とされた私たちが皆、世界宣教に携わることをイエス様は期待して、この祈りを日々ささげる様に命じられたのではないでしょうか。

最後に、どのようにして世界宣教に取り組むことができるのか。お勧めしたいことがあります。

ひとつは、世界宣教のために祈ることです。それも、漠然と世界のためにと祈るより、具体的な国や地域、宣教師のために祈ることです。先月、日本ウィクリフの総主事である土井先生ご夫妻が私たちの教会に来てくださり、チベットにおける宣教師の働きと教会の様子、完成した母国語の聖書を手にして喜ぶ人々の姿をビデオで紹介してくださいました。覚えているでしょうか。

実は、あのビデオに登場した鳥羽宣教師のこと、チベットのことを、私は神学生の時代、今から30年ほど前、毎日祈っていました。神学校では、宣教師とその派遣された国のために祈るグループがあり、それに加わっていたのです。その頃から今まで一度も鳥羽宣教師にお会いしたことはありませんが、あの日、目の前に鳥羽宣教師が表れ、チベットの兄弟姉妹の姿を見た時、神様が祈りに応えてくださる喜びを深く感じました。

この地上で直接会う機会はなかったけれど、祈り続けた宣教師、祈り続けた国や地域の兄弟姉妹に、来るべき神の国で会うことができる。これは非常に楽しみなことです。

二つ目は、祈ること以外で世界宣教のため自分ができることはないか、よく考えてみることです。宣教師になる。聖書翻訳の働きに携わる。それもすばらしいことです。しかし、その様な直接宣教ではなくとも、宣教に関わる働きは沢山あります。献金すること、宣教師の働きを技術や事務的な面で支えること、ファーストアントリムのチームのように宣教地を訪問して、宣教師を励ますこと、母国に帰ってきた宣教師に休息の場を提供すること、贈り物やカードを送ること。可能な限り宣教師の証しを聞き、交わり、ともに祈ること。

自分は自分たちの教会は、世界宣教のために何ができるのか。皆がその様な事を考え、取り組む教会でありたいと思います。